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Special Issue

SUPER FORMULA TECHNOLOGY LABORATORY

〜第1章〜

SUPER FORMULA TECHNOLOGY LABORATORY  Chapter 1

毎戦、緊迫したレースが繰り広げられたフォーミュラ・ニッポンは、今年からスーパーフォーミュラとなって新たなスタートを切る。その最大の魅力の一つは、マシンを操るドライバーやマシンを仕上げるチームスタッフの「技」である。
今回から、その技に込められている「人」の力をご紹介してゆく。
まずは、メカニカル系専門誌にも多くの記事を寄せ、モータースポーツをサイエンスとテクノロジーの面より観察し続けている自動車評論家の両角岳彦氏にご寄稿いただいた。

スーパーフォーミュラは「世界で最もシビアな自動車競争」だ。

両角岳彦

ここまで「速さ」が接近した自動車競争は稀

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 フォーミュラ・ニッポン改め「スーパーフォーミュラ」は、世界で最も高いレベルでシビアな戦いが繰り広げられている「自動車競争」だ。いつもそう思いながら「観て」いる。
 その緻密さが凝縮されて現れるのが予選アタック。タイミングモニターに表示されるラップタイムを追っていると、それぞれのドライバーとチームが最後のアタックに向けてどんなプログラムを組んで走っているかが浮かび上がってくる。そして路面コンディションが良くなるタイミングを狙って「一発」のために出撃してゆく。そこからは100分の1秒台の違いでモニター上のドライバー/マシン名が目まぐるしく入れ替わり、チェッカードフラッグの前を全車が通り過ぎてようやく順位が落ち着くのだが、やっと落ち着いてその結果を見ると、トップから1秒のタイム差の中に10台のマシンが並ぶ、などというのも毎度のこと。
 高性能フォーミュラマシンを、トップドライバーたちが操っているのだから、当たり前…と思いますか?
 いや、マシンとドライビングの組み合わせで成り立つ「自動車競争」というスポーツの中身を読み解いてゆくと、この予選の状況からだけでも、日本のトップフォーミュラが「すごいレベル」に踏み込んでいることが浮かび上がってくる。

「ドライビングというスポーツ」の極限で

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 そもそもドライバーがステアリングとブレーキとアクセルを調和させて操り、全身の感覚器と筋肉そのものまでをセンサーとしてフルに働かせ、タイヤと路面の摩擦力の限界で、それこそ「鋭い刃の上を渡る」ようなコントロールを続けること、しかもそこに生まれるクルマの運動を、「速さ」に結びつけてゆく技能と感覚がないと、ラップタイムをギリギリまで「削ぎ落として」走ることはできない。
 私が尊敬する日本の名ドライバーの某氏がこんな話をしてくれた。「ラップタイムはね、"足し算"なんだよ。あるマシンに、あるタイヤを履いて、あるサーキットを走る。その時、マシンの能力と、そして何よりタイヤのグリップを極限まで使って走った時の『神様のラップタイム』がある。物理的な限界を超えてそれ以上速く走ることは誰にもできない、というタイム。現実にマシンを走らせるとね、あのコーナーで100分の何秒、このコーナーで十分の何秒と、ミスやロスが出る。その積み重ねを『神様のラップタイム』に“足し算”した結果が、1周のタイムになるんだよ」
 つまり「頑張ってタイムを削る」ことはできない。ここが肉体だけを使うスポーツと、マシンとタイヤを操る「ドライビングというスポーツ」の最大の違い。
 何人ものドライバーがそうやってコースを1周してきて、100分の何秒かの違いしか出ない、ということは、まずドライバーたちのドライビング・スキルがいかに粒ぞろいであるかと、そして彼らの「再現性」の高さを示している。どんなスポーツでも、まずトレーニングで最良の運動を身体に(正確には小脳に)染み込ませ、いざという時には無意識にそのプロセスを生み出せるようにする。その最良の結果を、予選の1周だけのアタックに集中して再現できる能力の持ち主がそろっている、ということ。

設計どおりにマシンを仕上げる緻密さ

 それと同時に、マシンのほうもその能力をフルに発揮した時に1周で100分の何秒しか変わらない均質な性能が実現できていることも、タイミングモニターに表示されるタイムに示されている。
 シャシーはワンメイクなのだから、当たり前…だと思いますか?

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 じつは「ワンメイク」にはワンメイクならではの難しさがある。まず、個体それぞれの間に小さな差異があれば、可能な限り速く走ろうという状況では、それが明らかな違いとなって現れる。つまりラップタイムの違いに結びつくはず。
 とくにスーパーフォーミュラのような純レーシングマシンの場合は、「原寸大プラモデル」のような形でコンストラクターから出荷され、それが各チームのファクトリーにデリバリーされてメカニックたちの手で組み上げられる。ただパーツを組み合わせてボルトを締めればマシンの形になるわけではない。細かな部品を手作りしなくてはいけないところがあったり、溶接などの追加工が必要なところもある。ここで日本のメカニックの「緻密さ」は間違いなく世界のトップレベル。彼らが細かな部分にまでこだわってマシンを造り上げているから、そしてレースを終わるたびにマシンを解体してチェックし、再び「精度高く」組み立て、さらにその組み上がり状態を計測して確認しているから、ワンメイク・フォーミュラのパフォーマンス、つまり「限界走行性能」が「均質」なものになっているのだ。
 もちろん別々のメーカーの中で設計され、開発され、製造され、チューニングされたエンジンが、レギュレーション(車両規定)が許す限界を極めようとし続ける結果として、ほとんど均質なものになっていること。ワンメイクといえども非常に微妙なゴムという物質を操って作られる工業製品であるタイヤが、これも均質に仕上げられていること。これらもまたスーパーフォーミュラの緻密でシビアな競争を生み出している。

トラック・エンジニアの「お仕事」

 さらに、こうした競技車両には「セッティング」という重要な「鍵」がある。そのためにレーシングチームには「トラック・エンジニア」がいる。いうならばチームの頭脳。

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 彼らは、マシンのことをそれこそ「隅から隅まで」見て、理解して、考え続けている。それぞれのサーキットを1周する中で、空気の流れがマシンにどのように加わるか、足まわりはどう動いているか、それがスプリングを押して車体下面の地上高はどうなるか、そうした動きの現れ方を決めるダンパーはどう作動するか、タイヤをいかに路面に押しつけてグリップさせるか、エンジンはどう反応するか、エンジンの力を路面に伝えきるためにトランスミッションのギア比をどう選ぶか、デファレンシャルの差動制限はどのくらい効かせるか…。それらで全て「速さ」に、その結果としてのラップタイムに凝縮される。
 今は、マシンの様々な部位にセンサーを取り付けて、走る中でどんな状態になっているかを記録する「データロガー」がある。でもそこに現れるのは、変動し、振動し続ける数字でしかない。そこからあるコーナーを旋回している瞬間のマシンを動きを、そしてそれを生み出しているドライバーの操作を、脳の中でイメージする。そしてどうすれば、ほんの少しでも「速さ」を加えることができるかを考える。そしてフォーミュラカーの場合はとりわけ、ドライバーにとって自分の筋肉・神経の延長のように動くマシン、それこそ「パワースーツ」のように感じられるマシンに仕上げられるかどうか。
 これがトラック・エンジニアのお仕事。
 そしてその結果が、1周して100分の何秒かの幅に収まるということは、日本のトラック・エンジニアの、そしてチームの能力が高く、したがってシビアな頭脳競争が繰り広げられていることを示している。

レースの流れを組み立てるのもエンジニア

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 さらにレースを戦う現場に立つ時、彼らはまず「このコースを、この時期の気候と路面条件で走る時、マシンのセッティングはどうするか」を読み解き、それをファクトリーであらかじめ精度高く調整するための設定数値を整理し、メカニックに指示する。これがいわゆる「持ち込みセット」。
 そしてサーキットに入れば、練習走行から予選、ウォームアップから決勝レーススタートまでの各セッションを、どんな時間割で何をしてゆくか。そして最後に何より大切な「レースをどう戦うか」の全てをコントロールする。アメリカのレース界で言う「ストラテジスト(戦略担当)」もまた、日本ではトラック・エンジニアのお仕事なのである。
 この人種も一人一人個性があって、思考の組み立て方からレース戦略の組み立てまでそれぞれに違う。そしてもちろん、レースに臨むマシンのセッティングを組み上げる方法論も違う。トップフォーミュラのカテゴリーで、同じ「道具」を使っているから、目に見えるセッティングの違いはけして大きなものではないけれど、その微妙な違いがエンジニアの知恵の結晶であり、そしてそこに生まれる小さな差が、周回を重ねる中でそれぞれのドライバー+マシンのポジションに現れてくる。
 だから決勝の前、「今日のレースはどんな展開になるのかな…」と予想を組み立てる時、そしてレースが終わって「あそこでは何が起こっていたのだろう」と状況を確かめて、戦いの内容を再構成する時、私はいつもエンジニアをつかまえて話を聞く。もちろん彼らにしても全てを語れるわけではないけれども、彼らの言葉から「自動車競争の中身」が見えてくる。ドライバーはあくまでもアスリートとして、自らの全てを投じてマシンを操っているのであって、コースに出たらその能力と判断が全て。その領域のことは彼らに語ってもらうしかない。自動車競争を形作っている二つの側面の両方から「観て」「知る」ことで、このスポーツのおもしろさは一段と深まってゆく。これが私の実感…。
 というわけで次回以降は「トラック・エンジニアのお仕事」、そして「レースファクトリーの中で生み出される速さ」について、さらに「深い話」をお伝えすることにしよう。

SUPER FORMULA TECHNOLOGY LABORATORY
〜第1章〜 スーパーフォーミュラは「世界で最もシビアな自動車競争」だ。
〜第2章〜 この人たちの頭脳に、レースを戦う「知恵」が凝縮されている。
〜第3章〜 モータースポーツでも勝負の流れは「事前準備」で決まる。
〜第4章〜 さあ、今年はどう走らせよう? 戦おう?